しもさうではないと思ふ。殊に外来語などもかなり日本語のなかにはいつてゐるのだし、またこれからもさういふ傾向が全くなくなるわけでもない。したがつて、何かにつけて外国語に関する知識は国民としてやはり或る程度は有つてゐなければならない。しかし、わたくしの考へでは、従来のやうに、外国語といへばすぐ英語だと考へるやうな態度は捨てなければならない。そして、中等学校全体を通じて、日本と関係のある諸外国[#「諸外国」に傍点]の言葉を教へる、そしてどの程度の数にいづれの外国語を教へるかといふやうなことを、計画的に[#「計画的に」に傍点]やつてゆくべきだと思ふ。また、日常生活を通じて日本人が触れる可能性のある外国語を、――これは新しい方法に依らなければならないと思ふが――例へば、各国語の簡単な発音だとか、同じ意味の言葉がそれぞれ国に依つてどう異るかとか、さう言ふやうなことを中等学校で教へるのも一つの方法ではなからうか。見分け方ぐらゐ覚えておくとずいぶん役に立つ。これは外国語にたいする知識を与へるための、いくぶん新しい方式であり、考へ方であらうと思ふ。
          ○
 中等学校だけでやめるものはそ
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