ます。
より江  暇がありますかしら。
西原  夜は何時から暇です。
より江  五時から……。
西原  何時まで……。
より江  母に相談してみますが、許してさへくれれば、電車があるまで……。
西原  よろしい。電車代とお弁当しか出ませんよ。
より江  結構ですわ。
西原  明日から、僕の事務所へ来て下さい。
より江  母に相談してみますわ。
西原  事務所は此処です。(名刺を渡す)
より江  牧子さんにもおつしやつて御覧になりました?
西原  先生は、舞台に出ると、足がすくむさうです。
より江  あたくしもさうかもしれませんわ。
西原  無理に勧められない仕事ですからね……。
より江  あたくしからお勧めしてみますわ。
西原  お母さんさへお許しになればいいんですね。
より江  ほかに許しを受ける人なんか御座いません。
西原  さうですか。

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(牧子、続いて、貢、笑ひを浮べながらはひつて来る)
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貢  残念なことをしたね。(より江に)や、いらつしやい。
より江  意気地なく、引張られて参りました。
貢  さうあつてこそです。トランプでもしませうか。
西原  僕は知らない、さういふ遊びは……。まあ、君達、おやんなさい。
牧子  お教へしますわ。
西原  いや、僕は勘弁して下さい。それより、水を一杯どうぞ……。
牧子  只今、紅茶を入れますわ。
西原  なに、水で結構……。水の方が結構。
牧子  (取りに行く)
貢  そいぢや、まあ、面白い話でもしよう。
西原  僕にかまはずに、やり給へ。
貢  どうせ暇潰しさ。何をしたつて同じことだ。僕たちは、二人きりだと、よく、トランプの独り占をやるんだよ。二人が、めいめい、黙りこくつて、あれをやつてゐると、夜なんかね、一寸、神秘的だよ。
より江  さういふことがお好きらしいわね、お二人とも……。
西原  結局、閑人なんだね。
貢  いや、閑なことを苦にしてる人間なんだよ。
西原  閑人といふものは、閑を苦にしてる人間だよ。閑を楽んでる人間に、閑人なんかありやしない。
貢  それも一説だね。さうすると、僕たちは閑があり過ぎるのかなあ。
西原  あり過ぎるね。
牧子  (水を持つて来る)あり過ぎるんですつて……。閑なんかありませんわ。
貢  こいつは、閑を閑とも思はない女なんです。忙しい忙しいつて云ひながら、何もせずにゐる。
牧子  あら、うそばつかし……。
より江  そんなことありませんわね。あたくしなんか。どうかすると、なんにもすることはないと思ひながら、一方で、なにかしなくつちやならないと思ふでせう。その気持がこんがらかつて、結局、落ちつけないことがありますわ。
西原┐
  ├(同時に)それはありますね。
貢 ┘
牧子 ┐     ┌さういふ時だつて……。
   ├(同時に)┤
より江┘     └つまり、さういふことが……。
牧子 ┐
   ├(互に「どうぞ」といふ眼くばせ)
より江┘
西原  (引取つて)閑は出来ちや駄目だね。作るやうにしなくつちや……。
貢  それを云ふだけならやさしいがね。
西原  商売にもよるさ。
牧子  西原さんなんかは、おつしやるだけぢやないでせう。

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長い沈黙。
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貢  此の部屋はなんだか陰気だな。外が馬鹿に明るいだけに、家の中は、なんだかすすけてて惨めだ。
牧子  また外でお茶にしませうか。
より江  温室の前の芝生がよう御座んすわね。あそこで、何か戴くと、味が違ひますわ。
牧子  そいぢや、さうしませう。兄さま、一寸、また、手伝つて下さいません。
貢  机はあれでいいだらう。
より江  ええ、ですけど、椅子が……。
西原  椅子なら、僕が持つて行きます。
より江  あたくしも持つて行きますわ。
牧子  それぢや、めいめい、御持参で……。(先へ出る)
より江  (その後から、続いて)何かお手伝ひしませうか。
牧子の声  いいえ。いいんですのよ。
貢  (より江が持つて行かうとする椅子を無理に取り上げ、両手に一つづつ持つて出る)
西原  (これも、両手に一つづつ持つて、その後に続く)行きますよ。
より江  (ひとり、窓から、温室の方を見てゐる。懐中鏡を出し、手早く顔を直す)

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長い間。
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牧子の声  より江さん、いらつしやい。
より江  はい(と答へたきり、ぢつと、眼を据ゑて、何か考へてゐる。寧ろ、何かを待つてゐる)

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長い間。
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貢の声  いらつしやい、より江さん。
より江  いま、すぐ……(さう云つて、まだ、動かない)

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長い間。
此の時、突然、西原の姿が、硝子戸に近く現れる。より江はそれを知らずにゐる。
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西原  (極めて落ちついた調子で、しかし、親しみを籠めて)お茶が冷めますよ。
より江  (ハツとして、その方を振り返る)
西原  (朗らかな微笑を以て之に応へる)
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       第三場

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同じ応接間。
五月初めの夕刻、七時頃――
薄暗い燈火――窓掛が風にゆれてゐる。
牧子が現れる。勿論、前場の若々しさは去つて、もとの目立たない女になつてゐる。窓ぎわに椅子を持つて行つて、それに腰をかける。ぼんやり外を見てゐる。
呼鈴が鳴る。
彼女は、一寸首をかしげて、不思議だといふ眼つきをするが、急いで座を起つ。やがて「あら、どうなすつたの。もうすんだんですの。」といふ彼女の声――間――外出の服装をした貢が、帽子を被つたままはひつて来る。恐ろしく沈んだ顔つき。牧子、そのあとから、不安らしくついて来る。
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牧子  今日は、もつと、遅くおなりになるだらうと思つてましたのに……。でも、あちらへ行き着くか行き着かないかぐらゐの時間ぢやありません……これぢや……?
貢  (牧子の腰かけてゐた椅子に腰をおろし、だるさうに帽子を脱ぐ。牧子、それを受け取る)さうさ、向うへ行きつくか行き着かないうちに帰つて来たんだもの……。
牧子  でも、顔だけは出していらしつたんでせう。
貢  いいや、出して来ない。
牧子  あら。
貢  やつぱり、出さない方がいい――ふと、あそこまで行つて、さう思つたんだ。向うとしちや、おれたちを呼ぶ義務があるだらう。しかし、こつちに、行く義務はないからね。
牧子  でも、行かなけれや、変に思ふでせう。
貢  変に思ふだらうな。――しかたがない。こつちとしちや、やつぱり、行かずに済ましたいからな。
牧子  ……。
貢  どうなつたつて、お互にこれまで通りの交際《つきあひ》ができれば、それでいいぢやないか。
牧子  此の一月つていふもの、だつて、交際《つきあひ》らしい交際《つきあひ》はしてませんわ。さういふ話があつてからでせう、急にこつちへ来なくなつてしまふなんて、随分現金ですわ、二人とも……。
貢  その間に、あの芝居といふやつがあつたからな。
牧子  より江さんていふ人の大胆なのには、あきれましたわ。どうでせう、あの大勢の前で……。
貢  さういふ女でなけれや、西原は動かせないんだね。
牧子  それは別の話ですけれど……。

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長い沈黙。
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貢  先生達は、結局、いい相手を見つけたね。革命家に労働婦人……。
牧子  ……。
貢  西原つていふ男は、中学時代から秀才だつたが、それや、ひねくれ者でね……。
牧子  より江さんも、学校時代には、それや先生を手古摺らせた人なんですのよ。やさしい問題なんか、あてでもしようもんなら、存じませんつて、つん[#「つん」に傍点]と横を向くんですの。
貢  西原にもさういふ処があつた。しかし、あいつは、熱情家でね。今でこそ、冷静な口の利き方をし習つてゐるが、昔は――その当時、熱血男児つていふ言葉が流行つたが――その熱血男児の標本だつたよ。
牧子  そのくせ、より江さんは、人一倍、涙脆いたちで、よく友達の身の上話なんか聴かされては、独りで泣いてるんですよ。また、あの頃は、身の上話が流行つたもんですわ。――あたくしなんかも、随分、聴かせろ、聴かせろつて、人から云はれましたわ。それが、ね、ずつと兄さまと二人つきりなもんで、何かわけがあるだらうと思ふんでせう。その身の上話つていふものを、初めてして聴かせた相手が、より江さんなんですわ。自分では、何気なく云つてるつもりなのに、あの人、おいおい泣くんですのよ。しまひに、自分でも悲しくなつて……そこへ、また、なんとか、慰めるやうなことを云はれるもんだから、なほ胸がつまつて……。可笑しんですの。それからが、きまつて、例の、仲よしになりませうね、ですわ。
貢  西原の奴、一度、変なところへおれを連れて行つてね……。あれは、たしか、今考へると、戸山ヶ原の射的場かなにかなんだが、薄暗い穴の中でね……。そこで、腕をまくれつていふんだよ。腕をまくつて見せたら、やつも、小さな腕をまくるんだ。それから、何をするかと思つたら、ポケツトから、鉛筆を削るナイフを出しやがつてね、――さあ、おれも血を出すから、貴様も出せ、お互にその血を飲み合はうつて、いきなり、そのナイフをおれの腕へ突き立てようとするから、おれは、まあ、待て、とね……。
牧子  さう、さう、あの人の写真道楽が大へんなもんでしたわ。毎週一枚ぐらゐづつ新しく写したのを持つて来やしませんでしたか知ら……。それが、また、一一、変つた写し方で、その為めに、わざわざ、髪の結ひ方を変へたりなんかしたんですからね。二三度、あたくしも一緒に写さされたことがありますわ。
貢  おれが、これ誰だつて訊いたら、どうしても云はなかつた、あれも、さうぢやないか、そら、お前がすわつて、その肩へ手をかけてる……。これ誰だつて訊いても、お前は笑つてて云はないから、学校へ見に行くつておどかしたぢやないか。
牧子  そんなこと、ありましたかしら……。でも、その前に、あの人、うちへ来ましたわ。
貢  いいや、来ない。卒業する一寸前に、始めて、お前が伴れて来たんだよ。そん時、ははあ、あれだなと思つたんだから……。
牧子  あの頃から、綺麗つて云ふより、目立つ人でしたわね。どつか、ぱツとしたところがありましたわ……。
貢  さう云へば、あの時代に、先生と西原とうちで会つてやしないかしら……紹介はしなかつたかもしれないが……。
牧子  あつたにしても、両方とも、忘れてるでせう。だけど、西原さんも、特徴のある顔だし……。そんなことを、もう語し合つてるかもしれませんわね。
貢  無論、そんな話は、とつくにしてしまつてるさ。ああ、あん時、あそこにゐたのがあなただつたんですか、なんて、やつたにきまつてるさ。
牧子  ぢや、西原さんていふ方は、大学へいらしつてから、おとなしくおなりになつたのね。
貢  おとなしくつて……そんなにおとなしいか。
牧子  でも、お酒はあがらず、乱暴な口の利き方なんぞ、なさらなかつたでせう、ほかの方みたいに……。神谷さんなんか、出鱈目だつたぢやありませんか。
貢  神谷の方が馬鹿だよ、それや……。西原は、さうだね、大学へ来てから、急にすましだしたね。眼鏡を拭きながら話をすることなんか覚えてね。
牧子  それはさうと……。

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沈黙。
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貢  なに?
牧子  いいえ、なんでも……。


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