いとね。
貢 さういふつもりで見てみろよ。
牧子 (たまり兼ねて)兄さま、西原さんさへおよろしかつたら、少しその辺を御一緒に散歩でもしてらしつたら……。
貢 食後、少しづつ、歩くことにしてるんだ。なに、今日はどうでもいいんだ。
西原 歩くなら歩かう。
貢 此の辺は、森がいいんだ。ああ、さうさう、家はまだ見つからないの。
西原 それがね、市中はやつぱり駄目だよ。と云ふのが、客が多くつてね。
貢 そんなら、此の辺へ来たらいいぢやないか。家はいくらも空いてるよ。そんなに広くなくつてもいいんだらう。あの家はどうかね、尼寺の隣の家さ。此の間まで札が出てたぜ。
牧子 あそこは道ばたでやかましいでせう。それより、あれはどうですかしら……。少し不便ですけれど、より江さんの御近所に、なんでも、画かきが建てた家が、建てたつきりになつてるんですつて……。借手があれば貸すらしいんですよ。
貢 アトリエづきだね。それやいいぢやないか。
西原 いいね。見せて貰へないかしら……。
牧子 より江さんのお母さんにお話すれば、わかりませう。一寸、行つて、伺つて来てみませうか。
西原 なんなら、散歩かたがた一緒に行つてもいいね。
貢 それや、それでもいいが……(独言のやうに)家を空つぽにするわけにや、いかんし、おれがいきなり、より江さんの家へ行くのは、初めてなんだから、一寸、工合がわるいしと……。
牧子 そんなこと、かまひませんけれど、とても、わかりにくい家ですから……。
西原 ぢや、僕が牧子さんについて行かう。
貢 ああ、さうしたまへ。それがいい。
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(貢は、西原と牧子とを送り出してから、やがて、その姿を、硝子戸の向うに現す。しばらく、立つたまま、ぢつと一点を見つめてゐる。晴れやかな微笑。それから、上着を脱ぐ。煙草に火をつける。その煙を、空に向つて、大きく吹く。煙草を喫ひ終ると、温室の中から、鉢を二つづつ運び出して、花壇に並べはじめる。長い間。
此の時、より江の姿が、また硝子戸の向うに現れる。貢を見つけて、その方に近づいて行く。二人は立話をする。より江の快活な笑ひ声。貢は、また仕事にかかる。より江は、それを見てゐる。そのうちに、彼女も、手伝ひはじめる。仕事の句切がつくと、二人は、応接間にはひつて来る)
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貢 今の家を借りたつていふのは、やつぱり画かきですか。
より江 ええ、さういふ話ですけれど……。でも、画かきらしくないんですの、その人が……。
貢 それがほんとかもしれませんね。ぢや、西原君が画かきだつて云つて、はひつてもいいわけですね。先生たち、がつかりして帰つて来るでせう。
より江 家なら、ほかに、いい家がありますわ、いくらでも……。
貢 僕たちは、あんまり外へ出ないから、わからないけど、一つ、心掛けといて下さい。不便なのは、いくら不便でもかまはないつて云つてましたから……。
より江 西原さんつて、西原敏夫さんておつしやる方でせう。此の間、報知講堂で講演をなさいましたわね。
貢 さうですか。僕は、近頃、新聞なんか見ないもんだから……。
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長い沈黙。
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より江 随分活動していらつしやるやうですわね。
貢 さうでせう。
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長い沈黙。
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より江 近頃は、お忙しかありませんの。
貢 僕ですか。いいや。(間)僕、かういふ歌を作つたんですが、どうでせう。――呼吸《いき》もつかず、足音も立てず、何者か、忍び寄る如し、綻びを縫ふ――つて云ふんです。実感なんです。
より江 (考へて)さあ……。あたくし、歌なんかわかりませんけど……。でも、あなた、御自分で綻びなんかお縫ひになるんですの。
貢 あなたの前で、かういふことを云ふのは可笑しいですけれど、妹なんていふものは、あれで、やつぱり、兄きの身のまはりの世話なんか、十分にできないものなんですね。どうも、自分のうちつていふ気がしないらしいんです。あれで亭主の面倒が見れるかと思ふくらゐですよ。横着でしないわけぢやないでせうが、さういふ張合がないんでせうね。これ御覧なさい(上着の釦が取れかけてゐるのを見せ)これだつて、気がついてゐるのか、ゐないのか、一週間前から、このままですよ。かうして(釦を引きちぎり)とれてゐたつて、こつちから云ひつけるまで直しやしませんよ。
より江 でも、それは、お兄さまが、ずつとおうちにいらつしやるからですわ。外へお出ましになるやうな御商売なら、きつと、気をおつけになるんですわ。
貢 そんなら、うちの中は、どうでもいいつていふわけですね。さうなんですよ。此の部屋だつて、あなたがたが見えるやうになるまで、額一つかけようとしないんですから……。さういふことは、女の気持でどうでもなるんですからね。さういふ、うちの中の飾り方なんていふものは……。
より江 さうですかしら……。
貢 僕は、自分で別段に、趣味のある人間だとは思つてゐませんが、相当、生活に趣味らしいものをつけてくれるやうな人間が、そばにゐてくれればいいと、いつでも思ふんです。さもなければ、活気です。こいつが欲しい。実に、だれきつてゐるんですから、僕達の生活は……。
より江 さうは見えませんわ。
貢 近頃でせう。それは……。あなたがたのお陰ですよ。殊に、あなたのお陰です。いいえ、ほんとです。僕は、今、かうして元気よく働いてゐるのも、あなたの為めに、なるべく美しい花を咲かせようといふ希望があるからですよ。あなたが見に来て下さらなくなつたら、僕の温室の花は、みんな色がさめてしまふでせう。
より江 (戯談に取つて)あら、そんな……。
貢 うそだと思ひますか。そんならもつとお話をしませう。僕たちが――まあ、僕がと云つてもいいわけですが――かういふ仕事を始めたのは、別に、それで生活しなければならないからぢやないんです。なにか、健康的な、そして、人手を煩はさずに自分の生活を明るくするやうな仕事はないかと、あれこれ考へた末、花を作つてみようと思ひ立つたんです。牧子には、物をこしらへ上げるといふ楽しみがわからないんです。物を大切にしまつて置くことはできる。しかし、育てて行くことに興味がもてないらしいんです。おわかりになりますか。これは、たしかに、あいつの生涯を暗くしてゐます。従つて、僕の……。また愚痴を云ふやうですが、僕の生活を、半面に於て不幸にしてゐる。
より江 でも、牧子さんは、どなたの為めにああして、今迄、お独りでいらつしやるんですの。牧子さんの生涯が、まあ、仮りに暗い生涯だとすれば、その責任は、どなたにあるんですの。
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長い沈黙。
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貢 (だんだん憂鬱になる)
より江 さういふことおつしやるもんぢやありませんわ。あたくしさう思ひますわ。
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長い沈黙。
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貢 僕の責任もないことはありません。だから、どうすればいいんです。僕の力で、それがどうかなるんですか。
より江 早く牧子さんを自由にしておあげになることですわ。
貢 自由に……? あいつは自由です。
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長い沈黙。
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より江 あたくし、かういふお話をしに来たんぢやありませんわね。
貢 いいえ、かまひません。僕に間違つたところがあつたら、云つて下さい。僕は、さつき、あんなことは云ひましたけれど、実際は、牧子のことを一ばん心配してゐるんです。あなたが自由にしてやれつておつしやる意味は、どういふ意味だかはつきりわかりませんが、あいつを幸福にしてやることなら、どんな犠牲でも払ふつもりでゐます。あいつが、今、どつかにいい口があつて、嫁入りでもするやうなことがあれば、僕は、勿論、自分の不自由ぐらゐは忍ぶつもりです。
より江 (笑ひながら)それは、あたり前ですわ。それは犠牲とは云へませんわ。
貢 ああ、さうですか。なるほど、それはまづい譬でした。そんなら、どうしたらいいでせう。
より江 そんなこと、あたくしにお訊きになつたつて存じませんわ。また、お答へすべきことぢやないと思ひますわ。その事は、牧子さんが一番よく考へていらつしやる筈ですもの。
貢 あいつには、意志がないんです。したくないことはあつても、したいことはないんですからね。それだけは、僕が一番よく知つてゐますよ。
より江 全くお気の毒ですわ。
貢 あなたの力で、どうか、あいつに、前へ踏み出すことを教へてやつて下さい。あいつは、今、自分の眼の前に大きな幸福が待つてゐることを知つてゐるんです。それを知つてゐながら、どうすることもできずにゐるんです。
より江 でも、さういふことは、誰にだつてありますわ。
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長い沈黙。
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より江 あたくし、また伺ひますわ。今日は少し急ぎますから……。お昼までに帰るつて云つてありますの。
貢 それぢや、御飯はまだでせう。
より江 いいえ、それを済ませて来たものですから、遅れてしまひましたの。一寸した用事でも、なかなか午前中には片づきませんのね。またお邪魔させて頂きます。(起ち上り)途中で、牧子さんなんかにお遇ひするかも知れませんわね。
貢 まだ、いろいろお話ししたいこともあるんだけれど、御都合が悪るければ、また此のつぎにしませう。(これも起ち上り、より江を送つて出る。長い間)
より江の声 もう、よろしんですのよ。ほんとにもう……。あら、ここが、こんなに濡れてますわ。
貢の声 ははあ、バケツが漏るんだな。チヨツ、しやうがないな。
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長い間。
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貢 (やがて、二三通の郵便物をもつて現れる。その一つを開封する。読む。読みながら、椅子を引寄せ、腰をおろす。また別のを開いて読む。何れも、何んでもない手紙。さういふ時の精のなささうな表情。草花の鉢を一つ取り上げ、香を嗅ぎ、根ぎは、それから葉の裏を検め、不用な茎を摘み採りなどする。窓ぎはに立つて外を見る。外へ出る。しばらくして帰つて来る。また出て行く。長い間)
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(此の時、牧子と西原とがはひつて来る)
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西原 別に急がないんだから、よう御座んす。ゆつくり探すことにしませう。
牧子 ほんとに済みませんでした。(入口の方を振り返り)さあ、どうぞ……。かまはないぢやありませんか、そんなこと……。いやな方ね。
より江 (ためらひながらはひつて来る)あら、お兄さまは……。
牧子 何処へ行つたんでせう。裏ですわ。一寸呼んで来ますから、どうぞ、御ゆつくり……(かう云つて出て行く)
西原 もう少し早いか遅いかするとよかつたですね。
より江 あたくしがでせう。
西原 僕達がですよ……。
より江 おんなじですわ、それぢや……。
西原 お母さんはまだお若いですね。
より江 あたくしがお婆さんだからですわ。
西原 さうお取りになつちや困りますよ。あなたは実に鋭敏だ。どうです、あなたは芝居をやつて見る気はありませんか。
より江 どういふお芝居ですの。
西原 労働者に見せる芝居です。労働者とは限りませんが、つまり、面白い脚本を、頭のいい素人が、熱心にやつて、大勢に、安く見せる芝居です。
より江 あたくしに出来ますかしら……。
西原 出来
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