落ちつかぬ様子で、室内を歩きまはる。時々立ち止つて、耳を澄ます。何を聴かうとしてゐるのかわからない。が、さういふ動作の後で、常に、悩ましげな表情が浮ぶ)
牧子  (紅茶を運んで来る)お湯が少しぬるいんですけれど。
貢  もう欲しくない。
牧子  (椅子に倚り、途方に暮れてゐる)
貢  何も考へることはないだらう。お前にはお前、おれにはおれの生活がある。仕事がある。どうしてそつちを向くんだい(呶鳴るやうに)こんなことぢや、駄目だよ、何時までたつたつて。
牧子  (ハツとして、そつちを振り返へるが、その眼は、反感といふよりも、寧ろ憐憫の情に近い色で、寂しく曇つてゐる)

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長い沈黙。
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貢  (思ひ出したやうに書架の中から、恐らく手当り次第であらう、書物を一冊引抜き、肱掛椅子に投げかかるやうにして、その頁を繰りはじめる。勿論、それは、言葉の調子を変へる準備であつたに違ひない)事務所の電球を外して来てくれないか。
牧子  (素直に立つて出て行く)
貢  (書物をテーブルの上に投げ出し、左の靴を脱ぎ、
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