り]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
貢の声  いらつしやい、より江さん。
より江  いま、すぐ……(さう云つて、まだ、動かない)

[#ここから5字下げ]
長い間。
此の時、突然、西原の姿が、硝子戸に近く現れる。より江はそれを知らずにゐる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
西原  (極めて落ちついた調子で、しかし、親しみを籠めて)お茶が冷めますよ。
より江  (ハツとして、その方を振り返る)
西原  (朗らかな微笑を以て之に応へる)
[#ここで字下げ終わり]


       第三場

[#ここから5字下げ]
同じ応接間。
五月初めの夕刻、七時頃――
薄暗い燈火――窓掛が風にゆれてゐる。
牧子が現れる。勿論、前場の若々しさは去つて、もとの目立たない女になつてゐる。窓ぎわに椅子を持つて行つて、それに腰をかける。ぼんやり外を見てゐる。
呼鈴が鳴る。
彼女は、一寸首をかしげて、不思議だといふ眼つきをするが、急いで座を起つ。やがて「あら、どうなすつたの。もうすんだんですの。」といふ彼女の声――間――外出の服装をした貢が、帽子を被つたままはひつて来る。恐ろしく沈んだ顔つき。牧子、そのあとから、不安らしくついて来る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
牧子  今日は、もつと、遅くおなりになるだらうと思つてましたのに……。でも、あちらへ行き着くか行き着かないかぐらゐの時間ぢやありません……これぢや……?
貢  (牧子の腰かけてゐた椅子に腰をおろし、だるさうに帽子を脱ぐ。牧子、それを受け取る)さうさ、向うへ行きつくか行き着かないうちに帰つて来たんだもの……。
牧子  でも、顔だけは出していらしつたんでせう。
貢  いいや、出して来ない。
牧子  あら。
貢  やつぱり、出さない方がいい――ふと、あそこまで行つて、さう思つたんだ。向うとしちや、おれたちを呼ぶ義務があるだらう。しかし、こつちに、行く義務はないからね。
牧子  でも、行かなけれや、変に思ふでせう。
貢  変に思ふだらうな。――しかたがない。こつちとしちや、やつぱり、行かずに済ましたいからな。
牧子  ……。
貢  どうなつたつて、お互にこれまで通りの交際《つきあひ》ができれば、それでいいぢやないか。
牧子  此の一月つてい
前へ 次へ
全23ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング