活、少くとも、感情を深く内に包んで容易に色に見せないといふ生活は、過去の生活であり、現在では、その習慣は漸次失はれつゝあるのです。殊に、舞台の生活は実人生の模写ではないのですから、実際ならば口に出さないやうな文句を、舞台上の人物が喋舌つたからとて、それが、「真」を伝へてゐないとは云へますまい。科も亦同様です。要するに、実生活に於ては内に秘められ、又は、かすかにしか現されないことが、舞台では表面に現され、明かに示され、しかもなほ、それが、内に秘められ、かすかに現されてゐるやうな印象を与へ得ればいゝのです。そこが芸術なのです。モリエールの「人間嫌ひ」は、主人公が独りで喋舌つてゐるやうな芝居ですが、その主人公は如何に無口な人間のやうに書けてゐるか、これなどは、よい例だと思ひます。
 日本人の生活が科白劇を生むに適してゐないといふのは、たゞ、さういふ生活が劇作家や俳優の才能を伸ばすに適しないといふだけで、又は、劇作家や俳優に霊感を与へにくいといふだけで、さういふ生活も、優れた作家、傑れた俳優の手にかゝれば、よい科白劇として表現されない筈はないのです。

     六、眼で聴き耳で観る芸術


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