物を着てゐるかと思ふと、それは古い着物を裏返しに着てゐるのです。

     五、西洋劇と日本劇

 西洋の劇作家は言葉を活かすことを知つてをり、日本の作家は沈黙の価値を知つてゐると、嘗て武者小路氏が云はれたのに対して、私は言葉を活かすこと以外に沈黙の価値を活かす手段があり得ないだらうと言ひました。最も言葉を活かすことが――文学に於ては――最も沈黙を利用することであるといふ証拠は、西洋の優れた作品中にいくらでも例を挙げることができます。然るに、日本の劇作家の作品中、ほんとうに沈黙の尊さを知らしめるやうな作品がどこにあります。
 長田秀雄氏は、また、先月の新潮で、日本人の生活と西洋人の生活とを比較し、一つは、感情を表面に現さない生活であり、一つはすべての感情を、言葉や科《しぐさ》によつて表示する生活であるから、前者の生活から、歌舞伎式の楽劇が生れ、後者から文学的な科白《せりふ》劇が生れたのは当然である。故に、西洋の科白劇を、そのまゝ日本に遷すことは多少不自然であり、そこに新劇の行詰りを見る一原因があることを指摘してをられるが、これは慥に卓見だと思ひます。
 しかし、感情を表面に現さない生
前へ 次へ
全17ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング