故に劇作家なる劇作家」が如何に多いことでせう。そして「劇作家なるが故に劇を書く劇作家」が如何に少いことでせう。
「劇作家なるが故に劇を書く劇作家」は、劇を生む人々です。「劇を書くが故に劇作家なる劇作家」は劇を製造する人々です。前者の作品は一つの有機的組織であるのに反して、後者のそれは、常に機械的構成であります。従つて、後者は「味」よりも「力」を、「香」よりも「刺激」を、「光り」よりも「色」を、「弾力」よりも「硬さ」を、「密度」よりも「重さ」を尊重する傾きがあります。一つは「生き」、一つは「動」くのであります。云ひ換れば、前者は、「生命」を与へることによつて「動き」をつけ、後者は「動き」をつけることによつて、「生命」の仮感を与へようとするのです。
「劇作家なるが故に劇を書く劇作家」中にも、「力」と「刺激」に富む作品を書いた人がないではありません。しかし、それは、常に、豊かな「味」と「香」とを伴つてゐます。
「劇を書くが故に劇作家なる劇作家」は、概ね、所謂「劇的シイン」のストツクをもつてゐます。戯曲とは、あらゆる「劇的シイン」の組合せだと思つてゐるからです。さういふ人々は、たまたま新しい着
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