、旧流派に対抗する「新時代」の合言葉であつて、中には、「明日の舞台」が実現した例もあり、「空想の舞台」が空想で終つた例もあるところをみると、やはり、かういふ主張は、永久に繰り返されていいものであらう。
 そこで、「明日の劇場」又は、「空想の舞台」のために戯曲を書くといふことであるが、さういふことを云つてゐる戯曲家も、実は、「今日の劇場」「現実の舞台」から、いろいろな意味で刺激を受け感興を与へられ、目標を示されてゐることは、西洋の実例を取るまでもなく、わが小説壇の発達をみればよくわかるのである。しかし、日本の現在に於ける戯曲壇はどうであらうか? 誰が、「明日の劇場」を予想し得るだらう。誰が、「空想の舞台」を頭に描いて、真に「演劇的」快感に浸り得るであらう?
 われわれは、「現在の演劇」の、どこをどうしたいと思ふ前に、それを根本から、何から何まで変へてしまひたいのだ。変へなくてはなるまいと信じてゐるのである。
 第一に、劇場組織、第二に俳優の素質、第三に脚本発表の形式、第四に俳優と作者の関係、第五に稽古の方法、第六に、観客層の整理、第七に、劇評の役割……等々、挙げれば際限がない。
 しかし
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