とを、また繰返すやうになりますが、「本質」といふものは、「必要」ではあるが、それだけで「十分」なものではない。従つて「本質」を他の部分から遊離して考へることは不可能でありますが、要するに、或る作品の魅力は、芸術的価値は、さう単純に決められるものではない。いろいろな点で特色を示してゐる。全体的に優劣を定め得られる二つの作品が、或る点では、却つて反対な価値批判を与へ得る場合が少くないのであります。例へば、ラシイヌの数ある作品で、最も傑れたものと定評のある『フェードル』は、或る一点、たゞその一点のみで、普通第四位または第五位に置かれる『ベレニイス』にやゝ劣つてゐると云ひ得るのであります。その一点とは、ニュアンスに富む文体の快き諧調である。渾然たる韻律の美である。この見解は、或は幾分趣味の問題に触れてゐるかもわからない。しかし『ベレニイス』の真価が、その一点で、戯曲の本質と結びつけられる時、「本質主義者」は、『フェードル』を選ぶ前に『ベレニイス』により以上の演出慾を感じるに違ひない。ここで注意すべきは、『ベレニイス』は、ラシイヌの戯曲中、最も「非劇的」な戯曲とされてゐることであります。「非劇的」必ずしも「非戯曲的」ならず、まして「非舞台的」ならずといふ、前章の論旨を裏書するために、此の例は極めて適切であると思ひます。
 しかしながら、論者は一面に、近代主義的運動の功績と大なる未来とを信じ、あくまでも、その上に相当の期待をかけてゐるものであります。「演劇に革命の必要はない。古来の天才が、吾人の上に君臨してゐることを、吾人は寧ろ、光栄とするものである」といふ本質主義者の言に、論者は、やゝ片意地な、反動的な調子をさへ感じるのであります。たゞ、これは欧洲のやうな、殊に、今日の欧洲のやうな、目まぐるしい芸術的流行の渦中に於てこそ、スノビスムの旋風中に於てこそ、此の宣言は、力ある真理として響かなければなりません。
 顧みて日本現代の演劇界を観ると、そこには何等の運動らしい運動はない。自ら主義を振りかざす必要は勿論ありませんが、現在の演劇をどういふ方向に導いて行かうといふ努力さへ判然と示されてゐないのであります。「より以上優れた演劇」を生むためには、今日の演劇に対して、先づ決定的な批判を下すことが必要であります。今日の演劇に対するあらゆる不満が、何等かの方法で指摘され、「明日の演劇」に与へらるべき特色が、何等かの方法で暗示されてゐなければなりません。さういふ努力を払つてゐる劇芸術家が、俳優が、舞台監督が、劇場主が、劇評家がどれだけあります。そこでは、一切が模倣と踏襲である。形骸の模倣と未完成の踏襲である。そこには、近代主義の溌剌にして大胆な発見もなく、「本質主義」の堅実にして純粋な創意もなく、徒らに怠惰因循空騒ぎを以て、日に日を継ぐ有様であります。
 論者が機会ある毎に、日本の現代劇を何んとかしなければならないと説く所以も亦こゝにあるのであります。
 演劇論がいやに悲憤憤慨めいて来たことは恐縮です。
 結論を急がなければなりません。
 次章を以て、此の平凡な演劇論を終るつもりです。

     結論――明日の演劇

 これであらまし演劇一般に関する諸問題の研究を終つたつもりであります。
 各問題について、一層細密に、一層深く、而も色々の立場からこれを論究詮議すれば、更に完全な演劇論を組立てることが出来るでせう。
 例へば脚本の方面から、俳優の立場から、舞台の構造及び装置の点から、劇場の建築及び組織、観客席の設備、かういふ方面からも、それぞれ演劇の存在に触れる問題が限りなく生じて来るのであります。その一々についてはこれから機会ある毎に私見を発表するつもりでありますが、本講話は、主として演劇そのものゝ本体、芸術的存在としての演劇が、今日如何なる運命に置かれてあるか、この点を明かにし得ればそれでいゝのであります。
 そこで読者諸君は、論者とともに、「今日の演劇」から、眼を「明日の演劇」に向ける必要を、感じられたことゝ思ひます。
 この欲求は、やがて、日本現代劇に対する不満と結びついて、何人かの手によつて起されるであらうところの「新劇運動」――真の意味に於ける、「新劇運動」を支へる有力な根柢とならなければならない。
 恐らく「明日の演劇」を――それが「理想的な演劇」を意味するにしても――たゞ一つの型に嵌めてしまふことは大きな誤りでありませう。前講『舞台表現の進化』に於て述べた通り、様々な芸術上の主義主張は、その理論に於て何れも特色ある美の表現を目ざしてゐる。独断と衒気を去り、姑息と停滞とを戒めたならば、流派そのものに優劣があるとは思はれません。
「偉大にして光輝ある演劇」の将来は、かゝつて、演劇の芸術的純化に在るものと云へるでせう。そして、その芸術的純化は
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