々と題する遊里趣味のものか、然らざるものも、遊女を登場せしめなければ見物が承知せぬといふ風潮であつた。
元禄時代は内外ともに平穏無事な時代、即ち幕府の基礎は確立し、鎖国によつて対外関係は小康を保ち、江戸の殷盛は経済的にも一種の好景気を齎した時代であつた。かかる平和は勢ひ民心を弛緩せしめずにはおかぬ。いはゆる元禄の華美な風俗を生み、士道は地に落ち、仇討がすたれて心中が流行するといふやうな現象が目立つてゐる。
若衆歌舞伎が禁止されたのは少し遡つて承応元年のことであるが、それ以来、演劇的興行に対する政令の干渉は、殆ど枚挙する遑がないくらゐである。
参考のためにその主なるものを挙げてみよう。
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明暦元年五月――「跡々より御法度の通り、狂言尽し(俳優のこと)大名屋敷方へ呼候共伺公仕りまじく、衣裳結構なるもの着せまじく、其の上、「人多に奢りたる狂言仕りまじく」「狂言尽しの者、仮令一両人御屋敷方へ呼候共、罷越し、島原の真似(傾城買ひのこと)仕るまじく」云々。
同、四年正月――女方の鬘及附け髪を用ふることを禁止、諸芝居へ島原狂言を仕組み、傾城の真似する
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