いふことである。憚りなく云へば、日本の近代文化は、すべて他の領域に於ては多かれ少かれ、政府の手によつて、またその力によつて、急速な進歩を遂げたが、芸術の領域に於ては、単に美術学校と音楽学校との創立を見ただけで、民間識者の間で演劇改良の叫びが挙げられたにも拘らず、遂に、政府は何等これに応へるところはなかつたのである。
 民間の識者も、なるほど日本固有の演劇の弱点をよく認識し、これを真に国民的なる芸術にまで高めようといふ熱意はもつてゐたに相違ないが、それらの人々は、遺憾ながら、演劇に関する専門的な知識も、また演劇の文化的役割について的確な判断を下す感覚もなかつたから、その主張と運動の実質は、強力に時代を動かすものとはなり得なかつた。
 爾来数十年、演劇の革新は殆ど常に文学者及び素人俳優を中心とする少数の同志によつて試みられたが、様々な障碍に遭つて挫折に挫折を重ね、時には国体と相容れざる思想運動に逸脱する一部の傾向を生み、法の処断を受けて解散する団体もできた。その結果、いはゆる「新劇運動」なるものは、概して為政者の警戒するところとなり、もともと、歌舞伎劇を主流とする既成演劇の因襲と商業主義に
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