える。
ナチス政府は、党の一機関として、宣伝省の外廓にクルトゥール・カンマア(文化院)なる芸術文化各領域の職能組織を確立し、文学も演劇もこれを一元的機構のなかで統制指導する制度を採用した。
フランスに於ては、戦前まで、文部省が芸術政策の運営実施に当り、文学作品も上演脚本も共に、芸術局がその検閲に当つてゐた。議会に於ても、有力な代議士が政府の検閲方針について質疑的批難を加へれば、文部大臣並に芸術局長が、堂々これに応酬するといふ光景が屡※[#二の字点、1−2−22]見られたのである。
演劇政策の行政的な現れ方は、いはゆる自由主義時代まで、わが国に於ては、主として劇場並に劇場関係者取締及び脚本検閲なる形に於てしかこれを見ることができなかつたのであるが、近代国家としての発展に伴つて、やうやく「演劇法」の制定が計画せられ、保護、助成、指導の方向へ一歩踏み出さうとしてゐることは慶賀に堪へない。
しかしながら、日本の演劇の特殊性に鑑み、ここに大いに留意すべきことは、明治維新この方、政府はわが演劇に対し、この本質的な問題を如何に取扱ひ、これにどの程度の考慮を払ひ、これが対策として何をなしたかと
前へ
次へ
全37ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング