ことを特に明かにしたもので、その点、モリエールの言葉だけに、多分に時代の風潮を暗示してゐる。序に云へば、モリエールの面白いところは、劇作家としての才能の非凡以外に、王の寵遇にも拘らず、その寵遇の故に却つて自己を赤裸々に発揮し、王の側近たりとも容赦せず、権勢の代表たる貴族と僧侶とに鋭い諷刺の戈を向けたことである。
 ここで私は為政者の考慮を煩はしたいことがある。わが国にも嘗てはその例がないわけではないが、かかる諷刺を受けた当の貴族僧侶が、個人的に関係はなささうだといふ理由で、苦笑しながらもその舞台に喝采を送つてゐるといふ図である。わが国の狂言には、低能とも思はれる大名が屡※[#二の字点、1−2−22]登場するが、これは、作者が、殿様と呼ばれる階級の世情に通ぜざることを戯画的に諷刺したものに相違なく、しかも、これらの笑劇は殿様連中の好みに最も適つてゐたのである。見物中に機嫌を損じ、座を蹴る殿様がゐたとすれば、これは益※[#二の字点、1−2−22]誂へ向きの狂言的人物なのである。
 要するに、演劇の魅力は、それが何等かの意味で、「自分たちの生活」の再現であり、その中に、新しい自分、かくされて
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