てみても、ルイ十四世の国家統一と国威発揚に伴ふ賢明な文化政策の裏面には、宰相リシュリュウの学識と烱眼があつたことは勿論であるが、特に演劇方面に於ける黄金時代の現出には、王自身の趣味によるほか、批評家ボアロオを中心とする劇詩人の真摯な古典主義運動が、演劇の品位と同化力を著しく高め、かつ、王をして何をなし、何をなすべからざるかをはつきり認識せしめ得たことが、大に与つて力あるのである。
しかしながら、ルイ十四世の治下に於ては、まだフランス古典劇は十分に「国民全体」のものになつてはゐなかつた。国立劇場はまだ王室劇場の実質を脱してゐず、年金を与へられてゐる劇作家も亦、庶民のために書くといふよりは、寧ろ宮廷人士を観客として予想したのではないかと思はれる。モリエールの言葉として、「余は[#ここから横組み]“〔honne^tes〕 hommes”[#ここで横組み終わり]のために喜劇を作る」といふ意味の宣言が伝へられてゐるが、〔honne^tes〕 hommes とは、この時代に於て正確に何を指してゐるか私にはわからぬながら、およそ、「素姓正しき人々」のことを云つてゐるらしい。「身分高き人々」ではない
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