の演劇が徳川幕府の政治――延いては、その時代の社会的事情を背景として生れたのだといふことを考へれば、明治維新を経て昭和の現代に至るまで、その政治的革新も、社会的進化も、歌舞伎劇に対しては微々たる作用を及ぼしたに過ぎぬといふことになる。民衆の生活に深く根をおろしたものの、遂に抜きがたき力となることかくの如くである。幕府政治は滅んだ。しかし、「政治」の性格が民衆に示す相貌は、みんなが思ふほど変つてゐないところにも、歌舞伎劇の生命があるのかも知れぬが、それよりも、私は、やはり歌舞伎劇の力と美が、われわれの祖先の長日月に亙り、求め、創り、磨き、そしてわれわれの時代に伝へたものだといふことに、誇りと親しみと感動とを覚えるものである。

     三 近代国家と演劇政策

 芸術家が一般に芸術の目的と使命とを自覚し、意識的に「高い芸術」の創造を目指しはじめたのは、いはゆる文芸復興からであり、国家も亦、政策として、芸術諸部門の健全な育成を心掛けるに至つたのはいづれも近代国家形成以後と見てよからう。従つて、芸術家の自覚と、国家の配慮とは、緊密な関係をもつものと考へられる。
 フランス十七世紀の例をとつ
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