。
底野 おつと、それなら、こつちが先だ。なあ、おい、たつた今迄、そこに坐つてさ、今日は、ひとしほ晴れやかに、また馴れ馴れしくおれと語つて行つたぜ。髪は何時もの髪だが、まだ結ひたてゞ油も腐らず、前掛けは余所行の、例の緋の裏さ。今年は大して霜焼も目立たず、足袋をはいてゐるから光つた足の裏も見えない。
飛田 それより、おれは、今日、あいつに会つたよ。誰だか当てゝ見ろ。
底野 だから云つてるぢやないか、なるほどこゝへ来たことを黙つてゐたと見える。いきなり、その辺を見廻してさ、『あんたも、近頃貫目がついたわね』つていやがる。
飛田 そんなことより、こつちはどうだ。おれの顔を見ると、あの眼にもう涙を溜めて……。
底野 嘘つきやがれ。トンビでも、何時の間にか洒落たことを覚えやがつた。
飛田 断じて嘘ぢやない。――かういふんだ、まあ聴け、『実に懐しい。近頃はどうしてゐる。こんなところで立話もなんだから、その辺のカフエーへでもはひらう。』
底野 (躍起になり)馬鹿、馬鹿。おれは、外のことは云ひたくないんだ。日頃、貴様が、おれの主義を軽蔑し、果報は寝て待つべきものではない、よろしく……。
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