げつゝある人々の名前を世人は記憶せねばならぬといふやうなことを今更云ひたくはないのである。
 もちろん、それがこの書物の第一義的存在理由であらうけれども、寧ろ私は、この書物を書いたために、小川正子さんが他の同僚や先輩たちよりも、その道で特に「英雄的な人物」にはなつてほしくない。また、小川さん自身もそれを望まれないことは明かである。従つて、この記録を通して、著者が自ら語るところの行為は、公人としての半面と私人としての半面とに分けて考へなければ、その善さも美しさも、著者固有のものとはならないところに、作品自体の微妙な価値標準が存することを注意しなければならぬ。
 この点は、現在の多くの戦争記録なぞも同様で、作者が自ら「この戦争を戦つてゐる」その行為の全貌のなかで、既に「わが兵士」としての姿が絶対的なあるものを押しつける。それが如何に無意識的なものであつても、読者は、胸をひろげてこれを享け容れざるを得ぬひとつの「感動素」があつて、これだけは必要に応じて批評の圏外におくこともできるのである。
 ところが、「小島の春」では、著者が如何に公職を表看板にしようとも、それは問題にならないほど、著者の人
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