また、かういふ一節がある。
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「現代文化の中にあり、皇恩のあまねき日にさへなほ病者の歎きは深いのに、今から四十年も前の遺伝思想の中に救ひの手の乏しかつた日の病者達のみじめさは想ひを超ゆるものがあつたであらう。その頃から病者の姿を凝視していらつしやつた先生には私達の知らない深い悲惨な病者の実情、出来事が山の様にその胸の中に畳み込まれてあるに違ひない。然し先生は何も仰言らず、また書かれもされぬ。」
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更に、その先に、
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「少しでも私がこの道に役立つた事があつたとすれば、それは皆その処々に於て隠れたる多くの尽力者があつたからである。」
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 小川正子さんは昭和四年に東京女子医専を卒業し、同七年、長島の国立癩療養所に職を得、爾来七年間、光田園長の指導下に、同園長の言葉を藉りれば『診療の間を利用し、「つれ/″\の友となれ」てふ御歌の御心を畏みて、土佐、徳島、岡山等各地の患家訪問』を試みた。その記録がこの「小島の春」なのである。
光田園長の序文の冒頭――
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「女医が癩救療に一地歩を築き
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