なく、ほとんど読み終るまで涙を拭くひまがないくらゐであつた。こんなことは私は未だ嘗て経験したことはない。尤も、たまには、下らぬ芝居や講談などでつい涙ぐむやうなことがあると、きまつて後で腹のたつことうけあひで、さういふ効果をねらつた一切のものを私は排撃して来たのである。しかし、私は断言するが、この「小島の春」からうけた強烈な印象は、決してさういふ後口のわるいものではなく、寧ろこの感動の純粋さは、自分の心がたえず求めてゐる素朴さをやつととりかへした証拠だといふ風にみたのである。
著者の「後記」はこんな文句ではじまつてゐる。
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「いつの事であつたらう。園長先生が検診行の記録は全部くはしく書いて置きなさい。時がたつとその時の気分がうすらいで千遍一律の物になつてしまふから「その度々直ぐに書き残しておくんですな。土佐日記は出来てますか」と仰言つた。私が目を丸くして先生の後に突つ立つて居ると「出張してその報告書を提出するのは官吏としての義務ですよ」と重ねて仰言られた。義務といふお言葉が強く心に残つた事がいま忘れられない。さうして拙い手記が出来上つた。」
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