のことを云つてゐるが、これは私も大いに同感である。
 火野葦平氏の作品もその部類にはひると、豊島氏は書き添へてゐるが、私の考へでは、さういふ見方を一応肯定しつゝ、なほ、火野氏のものは、日比野氏の作品に現はれてゐる「私」とよほど違つた色合で、やはり、少々目障りなポーズができかゝつてゐるのではないかと思ふがどうであらう?
 勿論、私は、「呉淞クリーク」を「麦と兵隊」に比べて優れてゐるといふのではない。火野氏は、あまりに「兵隊」として立派にできあがり、自分でも恐らくさう信じ、さう振舞つてゐるところに、ある特色も認める代り、心理的にはいくらか物足らないところもあり、私などは、感心してもさう感動しないといふ変な窮屈さがあるのであるが、日比野氏の場合は、自分が兵隊であることの責任を自覚し、その信念によつて立派に立ち働かうとする決意を示しながら、なほかつ、訓練を遠ざかつた一予備兵としての、そして同時にまた、都会人、文化人としてのある瞬間に於ける弱味を意識し、これをカヴアすべく「教養」の綱にすがる悲痛な足掻きを描いて、われわれの不覚な魂をゆすぶつたのである。これは、今度の事変を通じて、一番時代的な問題
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