こに男性と女性との違ひはあつても、ひとしく、すべてが尋常で、自然で、健康で、場所が場所とは云ひながら、自分の心と周囲の人物とを語る、その語り方のひたむきな善良さに於いて、両者はまさに好一対なのである。
 この「神経質な」兵隊の、類のない天真爛漫さは、所謂、逞しい文学的表現といふやうなものと、凡そその感動の質を異にすることは云ふまでもないが、これも亦、一個の得がたい戦争記録、戦争文学の頂点であると私は思ふ。
 しかし、かの国民の記憶に深くきざまれた、死闘数々の体験を作者は自己の血をもつて綴つてゐるといふことに、私はこの「呉淞クリーク」の重要な価値をおきたくない。やはり、「小島の春」にみるやうな、徒らに思索者の冷静を衒はず、さうかと云つて、闘士としての思ひあがりもなく、自己と対象とを密着させた位置で、頗る楽天的とも思はれるくらゐ習俗と歩調を合せて歩いてゐる屈托のない姿は、それが一方で果敢ない矜りをもつのであればあるほど、私には厳粛にみえるのである。
 豊島与志雄氏は、この作品の短評で、「私」なる人物が他の文学者の従軍記録のやうに薄ぎたない姿をみせないから、その点澄んだ印象を与へるといふ意味
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