どの善意が支配してゐる。
 この種の仕事に対する情熱は、ある場合、狂信的な身振りを伴ふものであらうが、さういふところもまんざらないとは云へないにしても、それは当然として許される程度で、およそ偽善的な臭みなどといふものは微塵もなく、世俗的な苦労と聖女のやうな静けさを身につけながら、それでゐて、常に、書生つぽらしく振舞ふあの闊達さ、どんな場所でもユウモアを拾ふ感覚のゆとり、まことに驚くばかりである。要するに、その思想にも表現にも、不思議と西洋かぶれのわざとらしさがなく、男の向ふを張るといふやうな厳つさもない。然もなんといふつゝましいコケツトリイがこの一巻を彩つてゐることだらう。著者自身はこれを最も意外に思ふかも知れぬが、私の眼が怪しいかどうか、大方の判断に委せることにしよう。

       三

「小島の春」から私が受けた印象のある部分は、もうひとつの作品――即ち、中央公論の二月号に載つてゐる日比野士朗氏の「呉淞クリーク」に共通するものである。
 こんな比較は突飛なやうであるが、私の云ひたいところは、このユニツクな戦争文学もまた、その「素直」さで完全に私の心をとらへたといふことである。そ
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