あらうか? 贈りたい人は、どういふ名目であれ、何を贈つても勝手であるが、それをさう重大なことに結びつけて、天下の新聞が騒ぎたてることはないではないか。そんなことをするから、猫も杓子もそれに似たことをやりたくなるので、かゝるセンチメンタリズムは断じて、愛国の精神とは云ひ難いのである。
 戦地の報道も、年月の久しきに亘つて、さすがに変化のつけやうがない様子である。これは無理のないことで、少しも責める気にはならぬ。国民の忍耐は寛大にこれを受け容れてゐるが、さて、若し、望み得るならば、やはり安価なセンチメンタリズムを一掃してもらひたい。自爆勇士の愛犬が淋しく帰らぬ主人を待つてゐるといふやうな描写は、たゞ国民の心を「いたいたしく」暗くするばかりである。血腥い戦線を馳駆する若い記者諸君に対してはたしかにむづかしい註文であらう。それを十分察すれば察するだけ、記事の整理と調節とをその衝に当る人々に望みたい。戦ひつゝある国民に、仮にも、余計な涙を流させてはならぬ。日本人の感ずる「もののあはれ」の深さは、一動物の擬人的感情を借りなくてもよいのである。
 しつつこく、いろいろと並べたてたけれども、私の云ひた
前へ 次へ
全32ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング