ふ。
 序ながら、新聞は、その国民心理への影響力と時代を視る明敏性とにかけて、政府当局に、宣伝報道に関する必要な建言をしてはどうであらうか。かういふニユースを出せと云はれても、それは害あつて益なしと見たら、よろしく情を具して、掲載見合せ方を希望すべきであると私は信ずるものである。さういふ場合はもちろん屡々はないであらう。しかし、またさつきの例に戻るが、自殺したスパイの遺骸に、取調当局の主務官が敬意を表したといふやうな記事は、差しづめ遠慮してもらつた方が国民はありがたい。なぜなら、そんなことは当然なことで、わざわざ吹聴しなければならぬ義理合は少しもないのである。それが一層わが国の立場を有利にするとでも考へてのことなら、およそ人心の機微に通じないやり方だと云はねばならぬ。別に大したことでもないが、私は気恥しい。多分、国民の大部分は、国際的な問題だけに、おなじ気持だらうと思ふ。
 その他、国民の愛国心や友邦への親善感を強調するためであらうか、よく、誰それがヒツトラア総統へ何を贈つたとか、某女学校の生徒がフランコ将軍に手製のなにを贈呈するとかいふ記事が麗々しく出る。いつたいこれは当り前のことで
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