でないが、巴里の劇壇で名を成した以上、現代仏蘭西作家のうちに名を連ねても差支へあるまい。しかし、そんなことはどうでもいい。彼の稍※[#二の字点、1−2−22]北方的な素質は、マアテルランクなどと共通なものを感じさせはするが、同時に、彼のうちには多分のミュッセがあり、ロスタンがある。現代に於ける、最も興味ある作家の一人であらう。
 彼は、「堂々たるコキュ」の外に、「面師」(一九一一年)及び「初々しき恋人」(一九二一年)の二作を上演し、次で、「千五百五十年創立の商店」「ドム君の思想」の発表を予告し、最近、「金の腸」及び「カリイヌ或は魂の狂つた少女」の新作を舞台にかけたが、これは何れも、「堂々たるコキュ」以上の面白さはないやうである。殊に、「初々しき恋人」に見える稍※[#二の字点、1−2−22]病的な主観は、その「余りに地方的な」感情と共に拡大し、作品を頗る晦渋なものにしてゐる。少くとも仏蘭西人の嗜好には適せぬものとなつた。
 私は、「堂々たるコキュ」を訳しながら、久々で愉快な仕事をした。ただ、訳語を選択するにあたつて、困つたことが二つある。第一には、フランドルの田舎を場面とするこの戯曲の人
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