物に、普通の言葉を使はせたくない。さうかと言つて、日本の田舎言葉はこつちが不案内である。原作の会話は、勿論、所謂「田舎言葉」の写実ではなく、十分様式化され、洗煉され、詩化された独得のスタイルであるからさういふ味も訳語のうちに現はしたい。ところが、そんな野心は悉く捨てなければならなかつた。それは、実に大事業である。もし出来るなら、北陸か山陰の海に近い地方で、その土地の生活と言葉とを研究した上、それを基礎にして、新らしい様式の会話体を創り出し、この戯曲の訳に利用したら、さぞ面白からうと思つただけである。
 第二に、かなり露骨な表現で、検閲が危いと思ふ箇所が随分あつた。これはしかし、純粋に芸術的立場から見て、どうしても生かしておきたいものばかりであるし、当局も、この作品を玩味すれば、さういふ言葉の上の問題は、結局懼れるに足らないことがわかつてくれるだらうと思ひ、ただ単に、幾分手心を加へるに止めた。この手心を加へるといふことが、実に苦しい仕事だつた。



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「近代劇全集第二十一巻」第一書房
   1930(
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