てゐる。
 しかも、彼等が、かくあるべきやうな彼等であつたなら、現在、日本にも、一人のヴィルドラック、一人のモルナアル、一人のオニイルぐらゐは出てゐた筈である。いや、一人のチェエホフさへ出てゐたかもしれぬ。
 古今東西の演劇史を詳細に調べてみればわかる。演劇の隆盛は名優の輩出に負ひ、名優は才能ある作家を発見してこれに傑作を生ましめてゐるのである。名優と天才作家――このコンビネエションがさほど明かでない場合でも、一時代或は一国の演劇文化は主として俳優を通じて、名作戯曲の出現に何等かの寄与をなしてゐる。
 現在の日本は、戯曲家が腕をふるふ前に、演出家が舞台にのさばる前に、先づ、俳優らしい俳優が一人、起ち上らねばならぬ。
 一人のハアバアト・マアシャル、一人のクロオデット・コルベエルで沢山だ。
 俳優型美貌は役に立たぬ。若干の「人間的魅力」と、一と通りの近代的教養と、常人以上の感受性と、俳優たる十分の矜恃を必要とする。そして、何よりも、「現在の新劇」は概して観てゐられないといふ神経――そして、その焦立たしさを、朗らかに表現するほどの機智を要求したい。

     とは云へ、公平にみて

 現
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング