するがよろしい。「映画は演劇よりも演劇的なり」といふ逆説が、現代日本では立派に適用するのである。映画を映画として観賞するなんていふ余裕は、今のわれわれにはない――ともいへるであらう。
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極言すれば
僕は、原則として、演劇は「俳優」を本体とするものであると思ふ。俳優なくして何の演劇ぞやといひたいのである。今日は、その俳優を作るために、ただ一人の才能あり、高い精神を有する俳優を生み出すために、われわれは全力をあげねばならぬ時代である。われわれの努力は、しかも、直接の力とはならぬ。一人の無名の青年か、又は女性が、たまたまその才能と精神とを以て、われわれの前に現はれるといふ機会が、その努力に酬ゆるか否か、希望はただそれだけだ。
或は既に、今日までの「新劇」が、かくの如き幾人かの男女を引入れたかもしれぬ。が、今日までの新劇の舞台とこの雰囲気は、彼等の才能を蝕み、彼等の精神を鈍らせてしまつたのであらうか。
若しも十年前に、一つのよき雰囲気が存在したならば、彼等は現在、毎日千人の見物を、一月間呼び得たであらうと思はれるやうな男女優を、少くとも三四人僕は識つ
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