関係者は、僕の見るところ、よく今まで根気が続いたものだと思ふくらゐだ。遥かに光明を目指して、しかも光明から遠ざかりつつあることを知らなかつたのであらうが、少くとも、それに近づきつつあると思へぬ道を、よくも歩きつづけたものだと、心が傷むくらゐだ。なかには落伍したり、身売りしたり、いらざる道草を食つたものがゐるにはゐても、それらの人々を責める権利は誰にあらう。
(4)[#「(4)」は縦中横]、批評家の不親切よりも、その無定見は非難さるべきである。しかし、意見もあり、親切でもあつた批評家が、どれだけ「新劇」に裏切られたか? 批評家は決して、「新劇」の生みの親ではない。しかも今日、批評家は、まだ、甘い伯父さんではないか? 偶然の出来栄など、その物だけで褒めそやすことは、今日、批評家としては不必要だと思ふ。ただ無益な弥次は、天に向つて唾する類であることを知ればよい。劇作家については、僕自身もなんとか返答をせねばならぬ。実を云ふと、目下考へ中である。内村君、そのうちに、直接お目にかかつて、素晴しい弁解をします。
[#ここで字下げ終わり]
 が、兎も角、僕も内村君と同様、今日の「新劇」をなんとかせね
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