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多田  これで世の中は思ふやうにならんもんさ。あんたが働くつていへばすぐにでも雇ひ手があるんだがなあ。
彼女  あたし、ちよつと、買物に行つて来るから、そこに、さうしてゝね。
多田  その間、ベツドを借りてもいゝでせう。今朝から歩きづめで、どうにもやりきれない。
彼女  馬鹿なこといひつこなしよ。そんなに草臥れたなら、さつさと家へお帰んなさい。
多田  よろしい。意地悪をいふなら、たつて借りようとはいひません。あんなベツドがなんだい。貸間備附のピヤレツスが、そんなに神聖なのか。
彼女  面倒臭いなあ、靴下を穿くのは……。
多田  僕で出来る買物ならして来てあげますよ。
彼女  ほんと……? ぢや、お願ひするわ。晩のおかずよ。
多田  え?
彼女  フイレの厚切れ三枚……それとトマトの中ぐらゐのを、五つ……。それから、あんた、パンがよかつたら、パンを買つてらつしやい。
多田  しかたがない。(起ち上る)金は……?
彼女  どうぞよろしいやうに……。(もう炊事場に姿を消す)肉屋は、停車場の前の方が勉強するのよ。

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多田は、しぶしぶ外に出て行く。
やがて、
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