たが、なかには男か女かわからないやうなのもゐたけれども、大部分は、なかなか女らしいところがあつて、しかもさうグロテスクな感じはしなかつた。これはまあ特別な例であるが、よく世間で話題にのぼることは、高等教育を受けた女は、女らしくなくなるといふことである。私はあんまりさういふ意見を信じない方だが、それでも、なるほどと思はれるやうな例を少しはみてゐる。これはなにも学問が女に似合はないためではなく、学問そのものがそのひとの身についてゐないところから来るぎごちなさが「女らしさ」を覆ひかくしてゐる場合と、もうひとつは、男に負けず本を読み学校へ通つたのだといふ自負心がつい女の自然な感情を歪めてしまふ場合と、その何れかであると私は思ふ。
 これと好一対の例は、西洋の風習を表面的に真似てゐる女の、ごく日常的な態度物腰のなかにも、私は、女らしからざるものを屡々発見して苦笑することがある。西洋の女のどこか心惹かれるところを真似てみるのは、そんなにわるいことではないに相違ないが、そこにもう真似の悲しさがあるとすれば、誰がみても「あれで女か」といふことになる。所詮「女らしさ」はひとつの調和だからである。
 調和
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