いふ条件にとらはれない普遍にして且つ永遠な「女らしさ」といふものが想像できなくはないと思ふ。それは、かうと口で云ふことはむづかしいが、自然が女に求め、女はまたそれによつて自然を満たすところの霊妙な空気のやうなものである。自然と云ふ言葉が神秘めくとすれば、社会といふ言葉にかへてもいゝ。女らしくない女など一人もゐないのに、ある女が「女らしく」ないとみえる原因は、その女の「女らしさ」が、純粋で、適切で、豊富な表現をもたないからであるとわかれば、話は非常にはつきりしてくると思ふ。
 柔かみとか、潤ひとか、繊細さとかいふものが「女らしさ」の主要な色調になつてゐることは争へないとして、それさへも、やはりたゞそれだけでは、女の占有物ではない。寧ろさういふものの現はれ方の中に「女らしい」生命のリズムが感じられなければならぬ。従つて「女らしい」といふことは、もうそれだけで、まつたく独立した意味をもつことになり、どんな場合にでも、女のくせにといふやうな批難を受けるとすれば、それは、その女のやつてゐることからでなく、やり方にあるといふことだけは明瞭である。
 私は昨夜ニユース映画で英国の女兵隊といふものをみ
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