人の工夫や努力で生れるわけはないのであるが、その方向だけは、なんとはなしに、近頃になつてきまりかゝつてゐるやうである。
さう云へば、男の方でも、こゝしばらく「男らしさ」などといふことについての自己批判を忘れてゐたことは事実である。これは、たしかに重大なこととして今日省られなくてはならぬだらう。これも、結局は表現の貧しさに帰着する。男が男らしければ男らしいほど、女は女らしくなるとも云へ、その因果関係は案外単純なものではないかと思ふ。
たゞ、この雑誌などで「女らしさ」といふ問題がまつさきにとりあげられるところからみても、まだ、女の方が自分を厳しく詮議するところがあるやうである。私は、だからと云つて、別に女の弁護をするつもりもないけれど、若し女のひとにも云ひ分があれば、それは是非、聴かしてほしいと思つてゐる。
ともかくも、女性の特質たる「女らしさ」が、その肉体的精神的の表現として、最も魅力的なものであるために、ひとつの標準といふやうなものが自然に形づけられなければならぬ。それは、前にも述べたやうに、一時代、一民族或は一階級のうちに、それぞれの理想を見出すことはたしかだとして、一方、さう
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