「女らしさ」について
岸田國士

 私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。
 大体「女」といふ言葉は、古来、複雑微妙な語感をもち、時と場合で、その響き方がいろいろに変るのであるが、この「女らしさ」にしても、なにかさういふ捕捉しがたい模糊とした感覚のなかにその正体をつきとめなければならぬ厄介さがある。
 単純にこれを精神的なものと官能的なものとに分けてみてもはじまらぬ。淑かさと云へば精神的な「女らしさ」のすべてでなく、「艶めかしさ」と云つても、それが直ちに官能的な「女らしさ」だとは断言できぬ。
 また一切の女性的特質を「母性型」と「娼婦型」とに当てはめてみても「女らしさ」の本質を採り出す手がかりは与へられない。
 要するに、すべての女は、何等かの意味で女らしいといふよりほか、私には理窟のつけやうがない。たゞ、普通の標準に従へば、常に、時代と民族、階級或は職業などに通ずる女の典型なるものが考へられる。ある特定の生活と文化とが、特定の理想的「女らしさ」を作りだすのである。
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