時によると、男の眼が「女らしさ」を発見し、それに価値を与へることもあるが、女も亦、同性のうちの「女らしさ」を鋭く感じ取るものである。従つて、好悪の別はあつても、それが「女らしい」といふ一点で、それを見るものの眼に、さう著しい違ひはないと思はれる。
 そこで問題は「女らしい」といふことが特に尊重されるべきかどうかといふことである。「女も人間である」といふたてまへから、また、女であるがために差別待遇を受ける不満から、「女は女らしく」あるばかりが能ではないといふ結論が生れる場合がないではない。例へば「女だてらに」男のするやうなことを好んでするとする。或は、さういふ習慣を身につけてしまつて、一見「女らしく」なくなつたものがあるとする。こだわるやうだが、私は、さういふ女をも「女らしくない」とは見ないのである。やつぱり「女らしい」ところがどこかに現はれてゐると思ふ。それは、結局のところ「女らしさ」といふものは、女である以上誰でも備へてゐるのが当然で、努力をしてそれを示す必要もなく、また、意識的にそれを隠してもなんにもならない性質のものである。
「女形」を手本にしたやうな「女らしさ」の誇張は、腕
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