むを得ないことであらう。しかしながら、この「最も快き瞬間」に、少しでも度々出会ふことを望むのが、生活を愉しみ、文化を愛する人々の常である。
 この点で、幾分恵まれてゐるとさへ思はれる西洋人でも、日常生活の中だけでは満足してゐない。
 それなら、どこにそれを求めるか。「語られる言葉」の美が、最も輝やかしい魅力となつてわれわれを包む世界がたゞ一つあるのである。
 それは、いふまでもなく、劇場である。
 劇場は固より、その他の要素からも成つてゐる。しかしながら、「語られる言葉」の美だけは、劇以外に於いてこれを完全に、十分に味ふことはできない、といふ一事を、私は人類のために悲しみ、また、俳優のために誇りたく思ふのである。
 寄席の落語や講釈は、なるほど、「語られる言葉」の一芸術であり、これに心酔する人々に云はせると、これほど「面白い」ものはないのであるが、私の見るところでは、落語や講釈からわれわれが求め得るものは、特定の階級に迎合する話術以外のものではないのである。その話術は、なるほど、一つの確乎たる様式を生むまでに洗練されてはゐるが、その様式は殆ど「高座のマンネリズム」とも称すべきもので、民
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