葉」の一要素として、最も不適当な条件を備へてゐるのであるが、これまた、さほど悲観するにも当らないのである。なぜなら、表情も亦、かの「声」に於ける如く、その魅力は、必ずしも「言葉」と遊離して批判さるものではなく、殊に、所謂「表情の巧さ」は、決して、「精神的美しさ」を表示する最後の方法ではないからである。
「語られる言葉」の魅力は、かくて、これまた、「声」の場合に於ける如く、最も複雑な関係に於いて、「表情」のある種の魅力と結びつくのである。

 俳優の表情は、それだけで独立した演技の一要素であるから、こゝで取り立てては述べぬが、日本の俳優は、一般に、白《せりふ》と科《しぐさ》の一致、乃至、白を云ひながら、その表象をするといふ研究が、非常に幼稚である。可なり研究が出来てゐる人でも、概して、その結果が類型に陥つてゐる。

     七「語られる言葉」の芸術

 われわれの日常生活は誠に殺風景なもので、「語られる言葉」の多くは、月並な、生彩に乏しい、たゞ単に「用事を足す」だけの言葉である。たまたま、面白い言葉を耳にはさんでも、それは、一分間とは続かないのである。これは、現代の日本のやうな国では已
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