「語られる言葉」の美
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)生《なま》の
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一 書かれた言葉と語られる言葉
われわれ日本人は、子供の時分から、文字を眼で読むといふ努力をあまりに強ひられた結果、「口から耳へ」伝へられる言葉の効果に対しては、余程鈍感になつてゐるやうである。もちろんその他にも原因はあるだらうが、書かれた言葉、即ち文章についてやかましい批評をする人も、「語られる言葉」即ち「談話」については、案外、無関心であるなども、その証拠だらうと想はれる。
雄弁術といふものを正統的に育てて来なかつた国だから、それも無理はないのであるが、しかし、私がここで云はうとするのは、必ずしも、さういふ限られた技術の問題ではない。物を言ひはじめた子供の語る言葉は、いかに魅力に富んでゐるか、さういふ子供に乳をふくませてゐる若い母親の言葉が、いかに屡々われわれを微笑ましめるか。行軍に疲れた兵士らが、道ばたで取り交す会話のうちに、時として、いかに面白い調子を発見するか。われわれの耳の周囲には、寧ろ、月並な思想の月並な表現が充満してゐることは事実である。
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