れはそれとして、「語られる言葉」の伴奏者たるこれらの一切の要素は、それ自身、必要以上に「目立つ」といふことも禁物である。以下、身ぶり、手つき一切を含めて「表情」と呼ぶことにする。
日本人が無表情であるといふのは外国人の批評で、実は、日本人の表情が彼等には不可解なのであるから、そんな批評は意に介するに足らぬが、私に云はせれば、日本人の表情は、あまり上手ではない。上手ではないといふのは、心持ちが、そのまま、その通りに表情に表はれないといふことと、表はれた表情が、概してあまり美しくないといふことと、両方の意味を含んでゐる。
心持ちをそのまま表情に表はさないのは、昔からさういふ風に教へられて来たからだと云ふかもわからない。しかし、そればかりではない。なぜなら、この日本人独特の「表情術」は、武士階級のみの専有ではないからである。それよりも、私は、日本の険悪な風土気候が、われわれの「不自然な表情」を生んだ最大原因だと思ふ。
武士道の教へる禁慾主義的生活は、たしかに喜怒哀楽を顔に表はさない――少くとも「極度に表はさない」傾向を植ゑつけ、その結果、嬉しい時に苦い顔をし、哀しい時に微笑をさへ浮べる
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