た。

「声」といふ言葉は、日本でも西洋でも、抽象的な意味をもち、「意志」とか「意見」とかを表はす場合がある。「神の声」とか、「民衆の声」とかはそれである。
 声は、それ自身「精神」なり「生命」なりをもつと解釈できるかどうか。少くとも、「語られる言葉」のうちで、ただ単に機械的な役割を演じてゐるのでないことはたしかである。
 同じ言葉が、澄んだ声で語られる時、弾力のある声で語られる時、錆びのある声、艶つぽい声、あどけない声で語られる時、さては、濁《だ》み声、破鐘のやうな声、かすれた声、頓狂な声、さういふ様々な声で語られる時、その印象は決して同一ではない。
 優しい声、厳かな声、熱のない声、甘つたれた声、邪慳な声、などと云ふのは、それ自身、多少相対的な意味を含めた形容で、これは、声の調子と云ふ方が、より正確な場合もあらう。特殊な心理の動き、ある感情の閃きをうつすのは、多く声の出し方による、その抑揚強弱明暗の度に外ならぬ。
 更にまた、感情の激発に伴ふ異常な声の調子を呼んで、怒声、笑声、歓声、うるみ声、おろおろ声、などと云ふが、このなかには、もう既に、声の領域から、広い意味に於ける言葉そのも
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