のの領域に足を踏み込んでゐるものもある。

 所謂「美声」は、云ふまでもなく、「語られる言葉」の魅力を増すことに役立つのであるが、前に述べたやうに、所謂美声なるものには、常に何等かの条件がついてゐる。それは、丁度服装のやうなものである。ある種の「美声」は、甲の人物によつては極度にその真価を発揮するが、乙の人物によつては、却つて不似合な声として顧みられないことすらあるのである。
 これに反し、所謂「よくない声」でも、ある人物の口から漏れる場合には、それが「よくない声」であることを忘れさせるのみか、時とすると、さういふ声なればこそ、その言葉が一層、言葉としての魅力をもつといふやうな場合があるのである。
 しかし、さういふ例は極めて稀であつて、その人物の人柄に似つかはしい「美声」は、その人物によつて「語られる言葉」を一層生彩あらしめるものである。
 所謂「美声」なるものの、どつちかと云へば感覚的魅力を主とするのに対して、専ら精神的魅力を生命とする一種の声が存在することを注意しよう。それは前に述べた例の「精神」乃至「生活」で鍛へた声である。この種の声は、必ずしも「美声」と呼ばるべきものではない
前へ 次へ
全44ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング