衆を代表するものである。
 これに対して、詩吟も亦、封建末期的産物であり、その歌詞歌調は、幾分、純粋ではあるが、その感傷的音声は、浪花節ほど刺激的でないにしても、頗る近代人の神経を悩ますものに違ひない。この声は、往時、自称革命家の悲憤慷慨に用ひられ、「憂国慨世の声」と響いたのであるが、その声がややわれわれの耳から遠のいた今日、再び、これに代る声が必要となりつつあるやうである。
 演説と号令、政治家と軍人以外に少い声であるが、どちらも、一概に、デマゴジイ又はミリタリズムの声として貶し去るべき性質のものではない。男性的であり、意志的であり、調子ッ外れでない限り、よく通るといふだけでも強味がある声だと私は思つてゐる。
 もう一つ、頭で鍛へた声といふものがある。これは、教養による自己批判と、一種の慎ましい矜恃によつて情操的にマスタアされた声であり、深みと余韻があり、どつちかと云へば幅の広い声である。
 更にもう一つ、生活で鍛へた声といふのがある。これは、年齢の増加による声に似て、実はそれとも違つたもので、所謂、世路の曲折を経て、人情の機微に触れ得たがための声である。沈鬱であるが底力があり、多少
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