これを私は、「言葉の皺」と冗談に呼んでゐるのであるが、人間の言葉は、年齢と共に皺が寄るが、その皺は、所謂「嗄れ声」を指すのみではない。それ以上、根本的な、言葉の中に織り込まれる感情の皺である。生活の皺である。青年の言葉には、声の皺がないばかりでなく、感情と生活の皺がない。よく云へば、滑らかであり、悪く云へば、のつぺらぼうである。声の皺は、生理的の変化を必要とする。即ち、声帯の硬化によるものであるから、青年の喉を以てこれを真似ることは無理である。ただ、感情と生活の皺は、観察力による研究の結果、ある程度まで獲得し得べきものであると私は信じてゐる。「老け役」の失敗は、多くこの着眼を誤ることに原因するのではあるまいか。
一体、「作り声」といふものは、それ自身不自然さを意味してゐる以上、決して「自己を語る」ために有利なものではない。特殊な目的で「作り声」を必要とする場合がないでもないが、それは、一種の「物真似」であつて、低級な「芸」にすぎず、それによつて、忠実な自己表示は絶対に不可能と見なければならぬ。まして、いかなる目的にもせよ、「作り声」そのものに、純粋の魅力を求めることは、求める方が無理
前へ
次へ
全44ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング