鑑賞する資格がないからかもしれないが、私は、なんと云はれても女形の「せりふ」だけはその声の点だけで有難いものとは思はない。少くとも、あの女の喉から絞り出される男の声、(実は男の喉から絞り出される女の声)を聞くと、無駄な努力だと思ふ。
 西洋では、女優が男の役に扮することがあるが、それは常に年少の男である。男女の声が、まだそれほどはつきり区別されない前の男の声は、中年の女優がさほど無理をせずに出し得る声である。
 次に、声を年齢によつて区別することができる。年寄の声と若いものの声――これは男女の区別ほど厳密でないらしい。年寄で声だけ若いからといつて、そんなにをかしくなく、若いものが、比較的老けた声を出しても、それほど聴きづらくない。何れも極端では困るが、半白の老婦人が、妙齢の淑女と、声の区別がつかぬなどは甚だ陽気な話で、高等学校の生徒が大学教授のやうな声であつたら、さぞかし、頼もしからう。
 私は、自分の指導してゐる青年俳優に、「老け役」の声といふものを「作る」ことを戒めてゐる。絶対に禁じてゐる訳ではないが、それより大切な「老け方」が、「言葉の調子」の中にあることを注意してゐるのである。
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