「劇作」の気風は、殊に末期に至つてやゝ透明を欠き、重苦しくなつて来た。なぜであらう?
 第一次「劇作」は、しかし、よく続いた。もちろん菅原兄弟の犠牲に於てであつたと思ふが、同人諸君もいろいろ困難な道を歩みながらなほかつ演劇に対する熱意を失はなかつたためであらう。
 今度の「劇作」は、もちろん、第一次の終つたところから出発すべきであらうけれども、そこには可なりの飛躍が必要のやうに思ふ。その飛躍は、既に準備されてゐるに違ひない。
 先づ何よりも、同人のための雑誌から、同人による雑誌へのはつきりした移行がみられなければならない。といふ意味は、新劇界の確乎たる一存在としての自信と責任とをもつて、「なにかを始める」姿勢を示してほしいのである。
 そのために、「世界文学」の背景はまことにあつらへむきである。
「劇作」編輯の中心が京都に移動したことは別に大したことではない。東京では、「劇作」の姉妹誌を出してこれに応へようとしてゐる。東西相呼んで、新劇の本道を拓かうといふのである。
 私は、云はゞ、私たちの次の世代、次々の世代の成長を見まもる役目を与へられて、これを辞退する理由はないと思つてゐる。
 
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