劇作をするのに舞台の実際を知つてゐた方が都合がいゝ、勉強のために舞台の経験をするのだと考へてゐる人が、今の若い人達の中には多いやうであるが、私は創作をするのに在来の舞台上の約束などゝいふものは大して必要ではないと思ふ。創作家はある意味で、舞台の実際問題としての不便や、窮屈さに煩はされないで、あくまでも自分の理想を高く持して進むことが必要である。しかるに、舞台の実際、殊に現在の俳優の能力をあまり委しく知りすぎてゐると、無意識の間に上演の結果を考慮に入れて妥協するやうになり易く、したがつて創作の態度が不純なものになり勝ちである。
私は最初の上演には、舞台の上の一切のことを人に任せて、自分はたゞそれを見てゐるだけであつた。さういふ実際の仕事に当るには、俳優の一人々々について、その性格や、才能や、素質など委しく知つてゐなくてはならないものであるが、私はその方面の知識を少しも持つてゐなかつたからである。
作者が自分の作品を演る稽古に立ち会つていろ/\注意したり、自分の気持を伝へたりすることは、作品の解釈といふ点から云つても、隅々まで注意が行き届くといふ点から云つても、必要なことであるには違
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