原因は、寧ろ私の書くものが日本の新劇の畑に適しないものであつたことゝ舞台に対する私の理想が、到底実現され難いほど、無制限に大きなものであつたといふことに依るのであつた。自分の未熟な脚本について、私が独りで頭の舞台へ描き出した空想があまり素晴らしすぎたのである。実際の舞台といふものに少しも経験のない私は、劇作家としての理想が舞台の上でどの程度に実現されゝば満足しなければならないかの標準が全然わからなかつた。つまり戯曲と演劇との間に当然つけなければならない隔たりが会得されてゐなかつたのである。
 誰でも芝居の実際になれてくれば、自然、作家の理想は上演の際にはその幾部分しか実現されないのが普通であることがわかつて、自ら安ずるやうになるのであるが、これはまた一面から云へば、作家にとつて甚だ危険なものでないことはない。どんなにしても要するに舞台の上ではこの程度にしか実現されないのだからといふ風に蔑しろに考へて、不知不識創作する気持をそこまで引下げて気がつかないといふやうなことも起り得るのである。
 そこで、私は今では創作家は、演劇の実際には成る可く関係しない方がいゝといふ持論に傾いてゐる。中には
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