見えた。兄は此弟とは異つた遊び場所の異つた遊び友達から、遊び疲れて帰つたのである。二人は不思議に一緒には遊ばなかつた。たまに一緒に遊んでも、弟の前で兄の権威を他人に示すのに急で、弟にはわざと辛らく当つた。そして其癖家にゐる時はひどくやさしかつた。
「どうだい辰夫。痛いのかい。」と兄は兄らしい同情を少年らしい瞳に輝かせ乍ら顔を寄せた。「お母さんはおまへ一人でいゝ思ひをした罰だと云つてるよ。」
「まだ少し痛いやうな気がするの。」自分はわざと心細げに云つた。さう云つた方が兄の同情に酬いる道であらうと思つたのである。「それよりかお父さんの方はどうしてゐるの。」自分はさつきの漠然たる恐怖と不安を遠い過去のやうに思ひ出し乍ら聞いた。
「うむ。お父さんはもう二度雪隠に行つたらすつかり癒つて了つたと云つてるよ。」
「ぢやもう起きてるの。」
「いや、まだ寝てゐるよ、寝て御本を読んでゐる。」
 自分はすべてが過ぎ、すべてが平静に帰したと思つた。それで安心して、心にもない姉の事を聞いた。
「では姉さんは。」
「姉さんかい。姉さんは相変らず静かに寝てゐるよ。お前が鰻[#「鰻」は底本では「饅」]に当つたと云つた
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