の中にすべてを読んだ。そして台所で手水《てうづ》を使つてゐる中に、そこにゐた人々の話から、火事の原因が小使の過失らしい噂と、六角塔が瞬く間に焼け落ちて、階上に収めた御真影と大切な書類がすつかり焼けて了つた事を知つた。自分には最初その御真影と云ふ言葉が解らなかつた。それで再び其男の説明によつて解つたけれども、依然として其焼失がそれ程重大なものであるとは考へもつかなかつたのである。(幼なき無智よ!)
朝飯を済ますと、(下痢はしてゐたが、いつの間にか腹痛は止んでゐた)私はひそかに家を出て火事場を見に行つた。幼ない心で念じて行つたに係はらず、街角を曲つて行手を見ると、そこにはいつも日を受けて輝いてゐる六角塔が無かつた。そしていつも其風景の補ひをする街樹《がいじゆ》がひどく寂しい梢で空を画《くぎ》つてゐた。
火事場に近づくと妙な匂ひが先づ鼻を搏つた。そしてそれと覚しいほとりには、白い処々黄まだらな煙りが濛々と騰《あが》つた、その煙りの中を黒い人影が隠見してゐた。
私は立並んでゐる幾人かの人に交つて、焼け残つた校門の傍に立つた。裾から立昇る煙りの上には、落ち残つた黒い壁と柱の数本が浅ましく立
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